わたしの教室の感動ストーリー

青物横丁教室
ダンナ

娘が教えてくれたこと

青天の霹靂とはまさにこのことでしょうか。
仕事中の私の電話に妻から着信がありました。そんなことは滅多にないため呼び出しがあった瞬間、嫌な予感がしました。その思いは残念ながら的中し、妻曰く「3歳の娘がけいれんを起こし、救急搬送された」とのこと。私は幼児によくある熱性けいれんのようなものだろうと思っていたものの、妻は気が動転していたためすぐに病院に向かいました。しかし、私のそんな楽観的な思いは瞬く間に消え去り、救急救命室で対面した娘は人工呼吸器につながれ、意識がありませんでした。その瞬間、一般的な熱性けいれんではないことを私もすぐに理解しました。しかし、当初は具体的な病名は分からず、コロナ禍であったため集中治療室で闘い続ける娘とはほぼ面会できません。私たち夫婦は途方に暮れ、泣き暮らす日々を過ごしました。その後、1週間ほど経って判明した病名は「二相性脳症」、ウィルスによって脳が炎症を起こす難病の一種だったのです。同時に医師からは告げられたのは「脳に重い障害が残る可能性が高い」という事実。奈落の底に突き落とされたような絶望感で頭がいっぱいになりました。私たち家族の人生はまさにそこから180度変わったと思います。
 幸い娘は一命をとりとめ10日ほどで集中治療室から一般の小児病棟に移ることになりました。しかし、元気よく走り回り、楽しくおしゃべりしていたのが噓のように、その時は自分で寝返りをうつこともできず一言も言葉を発することができない状態でした。
 娘は倒れる1週間ほど前に幼稚園に入園したばかり。人懐っこく毎日楽しみに幼稚園に通っていた娘がなぜこんなことになってしまったのか… どこにもぶつけようのない怒りと悲しみがこみあげて来ますが、自分ではどうすることもできません。インターネットで病気や今後のことについて調べているうちに、障害と向き合うには「失ったものを悔やむのではなく、出来るようになったことを喜ぶ」という記述を見つけました。言っていることは十分わかりますが、当事者となって自分がすぐに飲み込むことは到底できません。街を歩き、元気そうな子どもを見るだけで辛い気持ちになっていました。
しかし、ただ1つ分かるのは「娘は生き続ける事を選んだのだ」ということ。そのため私も妻も歩みを止めることは許されないという思いで、娘の入院生活を見守り続けました。1ヶ月ほど経ち、何とかおすわりが出来るようになり、喃語を発し始めるまで回復し、ようやく退院しました。ただ、医師が言うにはここからどこまで娘が回復、成長するかは未知数だとのことでした。
すでに娘の入院中に幼稚園は退園していたため、医師や区の福祉課のアドバイスを受け、
初めて障害のある子を対象にした療育施設というものがあることを知りました。そこで区の福祉課からもらったパンフレットに載っている療育施設に順番に電話したもののどこも空きがありません。しかし、偶然にもパンフレットの一番最後にあったコペルプラスにわずかな空きがあったのです。
すぐに私たち家族は体験入学に向かいました。病気になる前にも幼児教室には通っていましたがそれとは違うもので、知的な遅れのある子を対象にしていることが良く分かる緻密なカリキュラム、かつ先生も豊富な訓練を積まれている様子が見て取れるものでした。それを見て私に沸き上がったのは、これを続ければ少しは良くなるのではないかという思い。何より先生方は何もできない娘と誰にも相談できず不安そうな私たちに寄り添い、療育のシステムなどについても丁寧に教えていただけたことがとても嬉しかったです。私はようやくわずかな希望を持つことができた気がします。
 その後、受給者証をもらうのに1ヶ月ほどかかり、やきもきした日々を過ごした後に念願の通所開始となりました。その頃、ようやく娘はよちよち歩きができるほどに身体機能は回復していましたが、意思疎通は全く図れる状態ではなく重い知的障害を抱えていることは明白でした。とはいえ最初のレッスンの日は通所をはじめたからといって劇的に良くなるわけはないと分かっているものの、期待を膨らませずにはいられなかったことを記憶しています。そして、いざ始まってみるとレッスン中の娘は触るものは何でも口に入れてしまい、じっと座っている事すらできません。あらためて娘の現状を目の当たりにして涙が溢れました。私はしばらく直視することもできませんでした。「もう一生このままかもしれない…。」障害と向き合うことの難しさを改めて痛感させられた気がします。初回の療育後、先生からは「少しずつ慣れると思います。」と、しごく冷静かつ優しく伝えられました。先のことは当然誰にも分かりません。しかし、今思えばきっと娘にも成長があることを何人ものお子さんを見てきた先生は感じておられたのかもしれません。
 その後、私たちは藁をもつかむような思いで療育に通い続けました。最初の1ヶ月ほどは目に見える成長もなく、半ばあきらめ半分の気持ちになっていました。しかし2ヶ月ほど経つと物を口に入れることが減り、3ヶ月経つと喃語が意味のある単語に変わったりと少しずつ、ゆっくりではあるけれども娘に変化が見え始めたのです。そこでようやく私たちは「失ったものを悔やむのではなく、出来るようになったことを喜ぶ」ということが少し飲みこめるようになった気がします。
 現在通い始めてから、わずか3ヶ月あまりですが娘とは少しずつ意思疎通が図れるようになってきました。そのおかげで買い物に行ったり、食事に行ったり元の生活を取り戻しつつあります。病気になった当初は元気に幼稚園に通う子たちを見かけると目をそむけたくなるほど悲しい気持ちになりました。しかし、今は娘を他人と相対的に見て悲観することには意味がなく、娘自身の成長そのものに喜びを見出すことが大事なのだと考えられるようになってきました。
 自宅では“できないこと”に感情的になり娘に適切な教育を施すことが出来ていない気がすることもあります。しかし、こうしてプロの療育施設のフォローのおかげで成長を取り戻すスピードを上げることができたのだと思います。私は仕事の都合で通所に同行できないことも多いのですが先生が書いてくれる「サービス提供記録」に目を通すのが楽しみなのです。その手書きのメモにはいつも「できたこと」だけを書いてくれています。そのことで親は勇気づけられ、先生方に信頼を寄せられるのです。子どもたちを優しく見守り、適切な指導を続けるのは簡単にできることではありません。この場を借りて先生方に心より感謝申し上げます。
娘の病気をきっかけに失ったものがあることは事実です。一方で私たち夫婦は新たなことを学ぶことが出来ました。福祉の課題やマイノリティの気持ち、そして子どもの成長がどれほど尊いことなのかを。40歳を超え、新しく何かを吸収することは少なくなりましたが、娘のおかげでまだまだ私も成長できるのだと思えました。これが娘から教えてもらったことです。
もちろん今だって悲しみや悔しさから解放されたわけではありません。しかし娘の人生はまだ始まったばかり、その歩みがゆっくりではあるけれども止まることはありません。だから我々は前を向いて娘を応援し続けたいと思います。


 

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