「大丈夫」な居場所
「教室内をずっとうろうろ歩き回り、先生の足元にある教材を勝手に引っ張り出していました」
「癇癪を起こして、先生から力ずくで教材を取りあげていました」
「机の上によじ登って泣きわめきながら、先生を乱暴に叩こうとしていました」
これらは、2019年4月、コペルプラス浦和教室での記念すべき通所第一日目に、私が記録していた内容です。その時、息子のLは保育園の年少になったばかりでした。
今や、個別療育の日は先生の指示に従ってたくさんの課題をこなし、集団療育の日はお友達と一緒に楽しくやり取りをしながら積極的に発言をしたり、順番をきちんと守って行動したり。そんな現在の姿を見ていると、当時のことがまるで嘘のように感じます。
当初からLのことを知っている先生がしみじみと、「ここに来はじめたころには、絶対考えられませんでしたね」とおっしゃるたびに、この素晴らしい居場所に出会えて本当に良かった、と思うのです。
1歳半検診でお医者様から発語の少なさを指摘され、発達障害があるに違いないと強い口調で言われ、泣きながら帰った日。そのお医者様への反発から、その小児科には二度と戻りませんでした。それほど深く傷つき、また、信じたくない気持ちだったのです。
ほかの子に比べて確かに発語は遅いかもしれないけれど、子どもの発達には個人差があるから問題はないはずだ、と思い込もうとし、子どもの発達に関する心配をいつも頭の片隅に追いやりながら、忙しい日常にかまけて、時間だけが経っていきました。
「恐怖の」3歳児検診の案内が来たときのこと。私にとっては、ずっと避けて通りたいものであり、その通知を前に、鉛を飲み込んだように心が重くなりました。そこに同封されていた質問票や事前課題は、どう考えてもLにできることだとは思えません。問題を先延ばしにしてきたけれど、とうとう、その問題に直面せざるを得ない日が来てしまったわけです。
一歳半検診以降、別の小児科を見つけて、予防接種や風邪をひいたときなどに通院していたので、3歳児検診もそこに受けに行ったのですが、その日がターニングポイントになりました。
慣れている小児科のはずなのに、いつもとは違う雰囲気を瞬時に察知して、落ち着かない様子のL。順番になって診察室に入った途端、パニックになって大暴れし始めました。とても3歳児検診を受けられるような状況ではなく、いったん待合室に戻らなければならなかったほどです。看護師さんは辛抱強くLが落ち着くまで待ってくださったものの、その日は最後まで、受診できる状態にはならず、検診を諦めました。
その代わりに、お医者様にお願いして、Lについての意見書を書いていただきました。私の中でも薄々、Lの発達障害の可能性を認め始め、療育の必要性も感じていたので、通所受給者証を取得するにはお医者様の意見書が必要であるということは、調べをつけていたのです。
意見書を手に小児科を後にした後も、その小児科が入居しているビルの入り口で、自分の靴を脱いで私に投げつけ、そのビルの1階にある調剤薬局にずかずかと入っていって大騒ぎするL。通りすがりの高齢の女性が「この子はどうしてそんなに怒っているの?!」と、非難するように聞いてきました。私は泣きながら「そんなの分かりません!」と答えたのを覚えています。
泣き叫び暴れ回るLを何とか自転車に乗せて保育園に預け、その足でまっすぐ区役所に向かい、通所受給者証取得のための手続きをしました。セルフプランの書き方を手取り足取り教えてくださった担当の職員さんは、くだんの出来事を疲れ果てた様子で涙目になりながら話す私の事情を察して、大急ぎで手続きを進めてくださったのでしょう。その翌週には私のもとに通所受給者証が届きました。
本気になれば、こんなにも早く手続きが済んでしまうことなのに、我が子の発達障害を受け入れる覚悟を持つということは、それはそれは難しいことでした。でも、あの日、Lは体当たりで私の気持ちを固めてくれたのではないか、と、今となっては思うのです。そのおかげで、本気で療育施設を探すことになり、そして、コペルプラス浦和教室と出逢うことになるのですから。
療育施設を探すといっても、わからないことだらけの私は、とにかく手当たり次第に、通える範囲の施設から資料を取り寄せていきました。資料請求に無反応なところも多く、反応があっても無機質にパンフレットだけを送り返してくるところがほとんどでした。おそらくどこも忙しいのでしょう。そんな中、コペルプラスからの文書には、あと半年ほどすると家の近くに浦和教室が新しくオープンする予定であると書かれていました。
それでも、開校までしばらく時間があったことから、療育施設探しは続きました。資料請求に対して反応が良かったところでも、見学に行ってみると、立地的に通うのが困難だったり、平日の仕事をしている時間帯にしか開所しておらず、送り迎えのためには仕事を休む必要があったり、それ以上に、とても続けられないほど高額だったりで、全く現実的ではないことに絶望しました。
そうこうしているうちに、私はまた疲れ果て、気力を失いかけていきました。仕事も多忙を極め、なかなか時間も取れなくなっていました。
時が過ぎ、もう少しで浦和教室が開校するというタイミングになった頃、浦和教室の教室長が、熱心に連絡をくださいました。仕事で電話に出られなくても、何度も留守電にメッセージを残してくださいました。こんな風に連絡をくださる施設なんて、本当に初めてでした。もうどうとでもなれ、と投げやりになっていた気持ちが少しずつ薄れ、そこまでおっしゃってくださるなら、と、見学に行くことにしました。
無料体験の日、担当してくださった先生は、大暴れするLをニコニコしながら真っすぐに受け止めてくださいました。Lが気乗りしない課題は決して無理強いせず、Lが好きそうなおもちゃを取り出してご機嫌にしてくださいました。しばらく遊んだあとも、それをずっと机の横に置いて楽しい気持ちを維持させつつ、別の課題にチャレンジしてみる様に促してくださいました。そうやって、これまでに見たことのない顔つきになっているLを見て、ここでお世話になろう!と即決しました。
その後、晴れてコペルプラス浦和教室に毎週土曜日と日曜日に、正式に通うようになりました。それでも、なにもかも魔法のように順調に進んだわけではありません。最初は母子分離すらままならず、私が常に一緒に部屋に入らなければならない状態でした。それでも先生方はあせらずに時間をかけて、Lの気持ちに徹底的に寄り添ってくださいました。まずはLが、「ここは楽しくて安心できる場所なのだ」と思える環境づくりに徹してくださったのです。
そうやって、浦和教室に通うことが日常になってきたころ、教室長が母子分離のタイミングを見抜き、母子分離させることに慣れていらっしゃる別の曜日の先生をわざわざシフトに入れてくださり、Lが一人で教室に入るチャレンジを与えてくださいました。最初はパニックで泣きわめいて咳込むほどでしたが、まるで暴れ馬がおとなしくなっていくようなドラマチックな展開で、最後はちょっと頼もしい顔つきで教室を出てきたのには本当に驚きました。そしてその日を境に、Lは自分一人で進んで教室に入れるようになったのです。
とはいえ、最初の2年間は、機嫌がいい日よりも、手が付けられない日のほうが圧倒的に多い日々でした。椅子におとなしく座る姿や、目の前の課題に取り組む姿などを見ることは、ほとんどありませんでした。こだわりが強く、先の見通しが立たないとすぐパニックになり、癇癪を起して物を投げたり泣き叫んだりで、気持ちの切り替えができないまま、その日の授業が終わってしまうことばかり。さらには、家から持ってきたお気に入りのおもちゃを手放さず、教室の課題には見向きもしなかったのです。でも、先生方はお一人お一人が、それぞれ独自の工夫をして、毎回授業に臨んでくださいました。その時にLが夢中になっているアニメのキャラクターを印刷して切り取ったものを、課題のプリントに貼ってきてくださったり、そのアニメの塗り絵をプリントしてきてくださったり。また、見通しを持てるようにと、その日やることを視覚化し、壁に並べて貼ったりもしてくださいました。お忙しい中、このような個別対応をしてくださり、何とかLの不安な気持ちを鎮めてくださろうとする先生方には頭が下がる思いでした。
そのほか、先生方との思い出深いエピソードはたくさんあります。
家から持ってきた車のおもちゃ用の「車庫」をわざわざ工作で作ってきてくださり、おもちゃと楽しく分離できるように尽力してくださった先生には、その深い愛情に感動しました。
こだわりを理解しつつ一人の人間として尊重し、些細なことでも達成できたら、大げさなくらいの拍手喝采で、本気で褒めてくださる先生の前で、Lがニヤニヤと嬉しそうな顔をしたときには、褒められることの大切さを再認識しました。
Lの癇癪を、肝っ玉母さんのようにドーンと受け止めてくださる先生は、手の付けられない暴れん坊に疲弊していた私に、「怒ったLくんがかわいいんです!」とケラケラ笑いながらおっしゃってくださり、ありのままのLを受け入れてくださる姿勢に、母親として本当に救われる気持ちになりました。
発語が少ないLが、ちょっとした英語のフレーズ(「Let’s go!」「OK!」「Good!」など)に嬉しそうに反応して、そのことで発語が増えることに着目してくださった先生は、Lに対してそうした言葉がけを積極的にしてくださり、家庭でも同じようにしてみたら爆発的に発語が増えました。その先生には素晴らしい気づきを与えていただきました。
コロナ禍ならではの思い出もあります。しばらく教室がお休みになり、少し落ち着いたころにオンラインか通学かを選べたので、まずはオンラインでと思い、教室とつないだ時のこと。Lがなついていた先生を画面越しに見た瞬間、Lがすくっと立ち上がって家の外に出て自転車に乗りこみ、「コペユ!(コペルに行く)」と言い張りました。その熱意に押されるように教室に向かい、時間は少なかったものの久しぶりに教室に行って先生方に会えて、Lは本当に嬉しそうでした。その姿を見たとき、Lにとってコペルプラスは、本当にかけがえのない大好きな場所になったのだなあ、とあらためて思い知りました。
教室長が定期的に作成してくださる個別支援計画。それは、教室長からLへのラブレターだと、私には思えてなりません。先生方一人一人から丁寧に聞き取りを行い、Lの成長をつぶさに把握されたうえで、成長できたこと、達成できたことをたくさん書いてくださいます。また、その時々の成長課題を的確に見抜いて、絶妙なタイミングで次へのチャレンジも与えてくださいます。例えば、これまでは個別療育のみだったのですが、数か月前から集団療育も織り交ぜていただくようになりました。この移行タイミングも本当に絶妙でした。少しでも早かったらここまでうまくいかなかったと思います。
直接授業を担当されることがない教室長が、ここまでLのことを分かって的確に判断をしてくださるのは、教室長が先生方それぞれのやり方を徹底して尊重されたうえで信頼して任せ、そして、日々きめ細やかに先生方とコミュニケーションを取っていらっしゃるからこそだと思います。
課題をただシステマチックにこなしていくのではなく、先生方が一貫してLの気持ちに寄り添い続け、愛情を注ぎ続け、そして先生お一人お一人のユニークな工夫をもって柔軟に関わり続けてきてくださったおかげで、今年に入ってから一気にLの情緒が落ち着きました。その変貌ぶりには、本当に目を見張るものがあります。今や、きちんと椅子に座って、積極的に発言しながら課題に集中して取り組み、得意なことには自信を持ち、分からないことがあれば聞き、教室のお友達とも楽しそうにやりとりし、先生方にもきちんとご挨拶ができるまでになりました。
苦手なことがあってもいい。ただ、Lには自己肯定感を下げることなく、ハッピーに育ってほしい。私たち夫婦の願いは、浦和教室の先生方お一人お一人が叶えてくださっています。
来春、小学生になるLがコペルプラス浦和教室の先生方と毎週お会いできるのは、あと数か月です。引き続きコペルプラスジュニアにお世話になれる安心感はありますが、一番大変だった時期に寄り添ってくださったコペルプラスとのお別れは、Lにとっても私にとっても、とてもさみしいものです。でも、幸いなことに、浦和のジュニアは同じビルの上の階!これからも、寂しくなったら先生方の顔を見に来させていただこうと思います。
人は、自分のことを全力で肯定してもらえる場所が、家庭のほかに一つでもあれば、きっと、大丈夫なのだと思います。
だから、これからの人生でいろんなことがあるはずですが、Lは、大丈夫です。
コペルプラス浦和教室の先生方のおかげで、私は強く、そう信じられるようになりました。
