目が見えていなかったなんて
2016年7月24日に鹿児島で生まれ、不整脈のため2日後にNICUに搬送。幸いにも命に関わるものではなく1か月後には都内の自宅に帰宅。
兄が心疾患があり大学病院に通院していたため、念のため都内に戻ってから兄の主治医を受診。
WPW症候群ということが判明し検査のみですが通院することになった。
●母の感じた違和感
生後すぐから兄である長男との違いに戸惑うばかりの子育て。
心臓以外は何も問題なく、どちらかというと他の子より発達の早かった兄に比べ、ひどい乳児発疹から始まり、アレルギー、蕁麻疹など肌トラブルのオンパレード。小児科と皮膚科を行ったり来たりしながら肌ケアに奔走。
抱っこをしていてもあやしていても、甘えてくる素振りがなく、「私のことを母親だと認識しているのだろうか?」を疑問を抱くようになったのが生後2か月か3か月のころ。表情も乏しく、家族と他人の区別がついているのかもわからず、「この子は自閉症なのでは?」と思い始めました。
大学病院に通院していたこともあり生後半年頃に小児神経外科、脳外科を受診。食事中に体をこわばらせるような動作が多々あったことから生後8か月でてんかんの検査をすることに。大学病院での脳波の検査なども異常がなく、まだ幼いため発達検査なども満足にできず、とても不安な日々を過ごしました。
●目が見えていなかったことが判明
生後半年くらいから感じていた視線への違和感、1歳になる頃には確信に変わり、目がおかしいと思うようになりました。
テレビを見ているときや遊んでいるときもたまに黒目の位置がおかしい。相変わらずアイコンタクトもできず表情も乏しい。
確信を得ても撮影することができず、眼下に数件連れて行っても幼いので検査できない、3歳になったら検査したらいい、と門前払い。それでもおかしいと思いてんかんの検査をしてくれた大学病院の脳外科の先生に相談すると小児専門の眼科医を紹介してくれました。
●「お母さん、この子、目が見えていませんよ」
小児専門の眼科に行き、先生から言われた一言。視力は0.058しかありませんでした。
「これがこの子の見えている世界です」と言って私にかけてくれたメガネは、この子の見えている世界を映し出すものでしたが、そこには光と、ぼやけた色彩しか存在していませんでした。まさか自分の子どもが目が見えていなかったなんて。呼びかけて笑わないのも「笑顔」を知らないから。こっちにおいでと呼んでも来ないのも「こっち」がわからないから。歩いてごらんと言われて歩き出さないのも「地面」が見えないから。一歳をすぎてもまだ自力で歩くことができず、焦り、声をかけ、無理に歩かそうとしていた自分を恥じ、なんてひどいことをしていたのだと自分を責めました。
でも小児眼科の先生は「いま気づいてよかったですね。この子は眼鏡をかけると見えるようになる。大丈夫。これから視力が育ちます」と言ってくれました。子どもは視覚から80%以上の情報を得る、その80%がほぼ遮断されていた状態なので発達にも影響があったのでしょう、ということも言われました。大人になるまでになんとしてでもコミュニケーションがとれるようにしなければならない!この日から療育探しが始まりました。
●保育所に通う
「お母さんとずっと一緒にいる意図をくみ取ってくれるということがわかり自分から発信しなくなるから、自分から発信しなければ意思が伝わらない環境にいさせた方がいい」という医師のアドバイスの元、民間の所育所に通うことに。1か所目と2か所目ではひどく抵抗して、毎朝泣きじゃくり、迎えに行く頃には泣きすぎて自身の涙で頬が赤くただれてしまうほど。3か所目でようやく喜んで通える保育所が見つかり、幼稚園に通い始めるまでは保育所にか通うことに。と、ほぼ同時に療育も探し始め、コペルプラスのキャンセル待ちに。
多くの療育や民間の幼児教室に体験や入会もしての通学もしましたが、拒否反応がひどく、通学不可能に。
5歳となった現在も楽しく通えているのは幼稚園とコペルプラスだけです。(3か所目の保育園も卒園まで楽しく通いました)
●療育を探すときの不安
まず第一に自分の子どもが「障害児」である現実を突きつけらること。区役所でも、受給者証でも、各種書類には「障害児」という文字があること。それを目にするのが本当につらかった。第二に、障害児だということを前提で話をされることが辛いこと。まだ現実を自分の中でも消化できていないのに、体験の問い合わせなどで療育施設に電話をすると障害児だという前提で話をされること。当たり前のことがとてもつらく、電話をかけるのに数日を要することもありました。
●コペルプラスとの出会い
眼科医、脳外科医、小児科医の医師に相談をした結果、6歳までが勝負だと思い込んだ私。心折れながらも検索しまくり、コペルプラスの情報にたどりつきました(同い年の甥っ子がコペルに通っていてその評判を聞いていたのも理由の一つです)
初めてコペルプラス川口教室に訪れた日、先生があまりにも優しく包み込んでくださって、「障害児」だとか「健常児」だとかいう言葉を使うこともなく、「どういう風になってほしいですか?」など、一人の子どもとして話してくださったことがとてもうれしかったです。それまで抱えていた想いがあふれてしまって、先生の前で泣いてしまったことをいまでも覚えています。
場所嫌いや人嫌いが激しい一成ですが、コペルプラスには毎日のように楽しく通っています。
表情も乏しく言葉もつたなかったこの子が、いまでは5歳児とは思えないほどの語彙力で話し続けます。
人の話を聞かず、コミュニケーションが一方通行なときもありますが、「笑顔」を人に向けられるようになった姿に私は感動しております。
●コペルプラスで成長したこと
・人を好きになるということ
人と話すことが楽しいということ、人と関わることで楽しくなるということ
・語彙
季節の食べ物やことわざのリズムなどフラッシュカードで聞いた言葉を記憶しており、会話で適切に使うことができるようになってきました。
・自分の居場所を見つける
幼稚園でも時折マイペースなところを発揮するようですが、人に迷惑をかけないようにひっそりと隅っこで本を読んでいたりするそうです。癇癪を起したり脱走するわけではなく、自分で自分の気持ちをコントロールしようという姿勢がみられるとのことです。
・メリハリをつける
常に体を動かしていたいこの子ですが、運動したいがために頑張ってリンクカードにも取り組みます(カードは全く見ない日もいまだにありますが)。先生方が自身で気持ちに折り合いをつけられるように誘導してくださるので、一成もコペルプラス以外の時間でも自分で自分の気持ちを誘導するように話しかけているときがあります(僕はいまお菓子を食べたいけどご飯が先だからお菓子は後なんだよね。というように)
●嬉しかったこと
・感情が芽生えたこと
コペルプラスに通って何よりも嬉しかったのは、笑顔が見られるようになったことです。いまではよく笑い、よく泣き、よく怒り、感情の起伏が激しくて困る場面もありますが、能面で人形のようだったこの子を抱いていたときの不安に比べたらなんでもありません。
最初のころ、全く見ようともしなかったフラッシュカードを先生方がこの子に話しかけながら、注意をひきながらずっと見せ続けてくれたおかげだと思います。
「視覚を使って情報を得る」ということを知らなかったこの子に、コペルプラスが「視覚を使えば楽しいことを知ることができる」ということを教えてくれました。
いつかのわたしのように、いま、子どもの成長が不安で、でも問い合わせをする勇気が出ないという親御さんたちに、どうか一人でも多くの人にコペルプラスの魅力が伝わるといいなと思っています。
この子の人生はコペルプラスで変わりました。人に笑顔を向けられるか否かで人生は大きく変わると思います。
親がずっと守ってあげられないからこそ、子ども自身に人とうまくコミュニケーションを取ってほしい。
人と自分が笑顔になる。そんなコミュニケーションを学ぶのがコペルプラスの療育だと感じています。
