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浦和教室(新規問い合わせ停止中)Lママ
「大丈夫」な居場所
「教室内をずっとうろうろ歩き回り、先生の足元にある教材を勝手に引っ張り出していました」 「癇癪を起こして、先生から力ずくで教材を取りあげていました」 「机の上によじ登って泣きわめきながら、先生を乱暴に叩こうとしていました」 これらは、2019年4月、コペルプラス浦和教室での記念すべき通所第一日目に、私が記録していた内容です。その時、息子のLは保育園の年少になったばかりでした。 今や、個別療育の日は先生の指示に従ってたくさんの課題をこなし、集団療育の日はお友達と一緒に楽しくやり取りをしながら積極的に発言をしたり、順番をきちんと守って行動したり。そんな現在の姿を見ていると、当時のことがまるで嘘のように感じます。 当初からLのことを知っている先生がしみじみと、「ここに来はじめたころには、絶対考えられませんでしたね」とおっしゃるたびに、この素晴らしい居場所に出会えて本当に良かった、と思うのです。 1歳半検診でお医者様から発語の少なさを指摘され、発達障害があるに違いないと強い口調で言われ、泣きながら帰った日。そのお医者様への反発から、その小児科には二度と戻りませんでした。それほど深く傷つき、また、信じたくない気持ちだったのです。 ほかの子に比べて確かに発語は遅いかもしれないけれど、子どもの発達には個人差があるから問題はないはずだ、と思い込もうとし、子どもの発達に関する心配をいつも頭の片隅に追いやりながら、忙しい日常にかまけて、時間だけが経っていきました。 「恐怖の」3歳児検診の案内が来たときのこと。私にとっては、ずっと避けて通りたいものであり、その通知を前に、鉛を飲み込んだように心が重くなりました。そこに同封されていた質問票や事前課題は、どう考えてもLにできることだとは思えません。問題を先延ばしにしてきたけれど、とうとう、その問題に直面せざるを得ない日が来てしまったわけです。 一歳半検診以降、別の小児科を見つけて、予防接種や風邪をひいたときなどに通院していたので、3歳児検診もそこに受けに行ったのですが、その日がターニングポイントになりました。 慣れている小児科のはずなのに、いつもとは違う雰囲気を瞬時に察知して、落ち着かない様子のL。順番になって診察室に入った途端、パニックになって大暴れし始めました。とても3歳児検診を受けられるような状況ではなく、いったん待合室に戻らなければならなかったほどです。看護師さんは辛抱強くLが落ち着くまで待ってくださったものの、その日は最後まで、受診できる状態にはならず、検診を諦めました。 その代わりに、お医者様にお願いして、Lについての意見書を書いていただきました。私の中でも薄々、Lの発達障害の可能性を認め始め、療育の必要性も感じていたので、通所受給者証を取得するにはお医者様の意見書が必要であるということは、調べをつけていたのです。 意見書を手に小児科を後にした後も、その小児科が入居しているビルの入り口で、自分の靴を脱いで私に投げつけ、そのビルの1階にある調剤薬局にずかずかと入っていって大騒ぎするL。通りすがりの高齢の女性が「この子はどうしてそんなに怒っているの?!」と、非難するように聞いてきました。私は泣きながら「そんなの分かりません!」と答えたのを覚えています。 泣き叫び暴れ回るLを何とか自転車に乗せて保育園に預け、その足でまっすぐ区役所に向かい、通所受給者証取得のための手続きをしました。セルフプランの書き方を手取り足取り教えてくださった担当の職員さんは、くだんの出来事を疲れ果てた様子で涙目になりながら話す私の事情を察して、大急ぎで手続きを進めてくださったのでしょう。その翌週には私のもとに通所受給者証が届きました。 本気になれば、こんなにも早く手続きが済んでしまうことなのに、我が子の発達障害を受け入れる覚悟を持つということは、それはそれは難しいことでした。でも、あの日、Lは体当たりで私の気持ちを固めてくれたのではないか、と、今となっては思うのです。そのおかげで、本気で療育施設を探すことになり、そして、コペルプラス浦和教室と出逢うことになるのですから。 療育施設を探すといっても、わからないことだらけの私は、とにかく手当たり次第に、通える範囲の施設から資料を取り寄せていきました。資料請求に無反応なところも多く、反応があっても無機質にパンフレットだけを送り返してくるところがほとんどでした。おそらくどこも忙しいのでしょう。そんな中、コペルプラスからの文書には、あと半年ほどすると家の近くに浦和教室が新しくオープンする予定であると書かれていました。 それでも、開校までしばらく時間があったことから、療育施設探しは続きました。資料請求に対して反応が良かったところでも、見学に行ってみると、立地的に通うのが困難だったり、平日の仕事をしている時間帯にしか開所しておらず、送り迎えのためには仕事を休む必要があったり、それ以上に、とても続けられないほど高額だったりで、全く現実的ではないことに絶望しました。 そうこうしているうちに、私はまた疲れ果て、気力を失いかけていきました。仕事も多忙を極め、なかなか時間も取れなくなっていました。 時が過ぎ、もう少しで浦和教室が開校するというタイミングになった頃、浦和教室の教室長が、熱心に連絡をくださいました。仕事で電話に出られなくても、何度も留守電にメッセージを残してくださいました。こんな風に連絡をくださる施設なんて、本当に初めてでした。もうどうとでもなれ、と投げやりになっていた気持ちが少しずつ薄れ、そこまでおっしゃってくださるなら、と、見学に行くことにしました。 無料体験の日、担当してくださった先生は、大暴れするLをニコニコしながら真っすぐに受け止めてくださいました。Lが気乗りしない課題は決して無理強いせず、Lが好きそうなおもちゃを取り出してご機嫌にしてくださいました。しばらく遊んだあとも、それをずっと机の横に置いて楽しい気持ちを維持させつつ、別の課題にチャレンジしてみる様に促してくださいました。そうやって、これまでに見たことのない顔つきになっているLを見て、ここでお世話になろう!と即決しました。 その後、晴れてコペルプラス浦和教室に毎週土曜日と日曜日に、正式に通うようになりました。それでも、なにもかも魔法のように順調に進んだわけではありません。最初は母子分離すらままならず、私が常に一緒に部屋に入らなければならない状態でした。それでも先生方はあせらずに時間をかけて、Lの気持ちに徹底的に寄り添ってくださいました。まずはLが、「ここは楽しくて安心できる場所なのだ」と思える環境づくりに徹してくださったのです。 そうやって、浦和教室に通うことが日常になってきたころ、教室長が母子分離のタイミングを見抜き、母子分離させることに慣れていらっしゃる別の曜日の先生をわざわざシフトに入れてくださり、Lが一人で教室に入るチャレンジを与えてくださいました。最初はパニックで泣きわめいて咳込むほどでしたが、まるで暴れ馬がおとなしくなっていくようなドラマチックな展開で、最後はちょっと頼もしい顔つきで教室を出てきたのには本当に驚きました。そしてその日を境に、Lは自分一人で進んで教室に入れるようになったのです。 とはいえ、最初の2年間は、機嫌がいい日よりも、手が付けられない日のほうが圧倒的に多い日々でした。椅子におとなしく座る姿や、目の前の課題に取り組む姿などを見ることは、ほとんどありませんでした。こだわりが強く、先の見通しが立たないとすぐパニックになり、癇癪を起して物を投げたり泣き叫んだりで、気持ちの切り替えができないまま、その日の授業が終わってしまうことばかり。さらには、家から持ってきたお気に入りのおもちゃを手放さず、教室の課題には見向きもしなかったのです。でも、先生方はお一人お一人が、それぞれ独自の工夫をして、毎回授業に臨んでくださいました。その時にLが夢中になっているアニメのキャラクターを印刷して切り取ったものを、課題のプリントに貼ってきてくださったり、そのアニメの塗り絵をプリントしてきてくださったり。また、見通しを持てるようにと、その日やることを視覚化し、壁に並べて貼ったりもしてくださいました。お忙しい中、このような個別対応をしてくださり、何とかLの不安な気持ちを鎮めてくださろうとする先生方には頭が下がる思いでした。 そのほか、先生方との思い出深いエピソードはたくさんあります。 家から持ってきた車のおもちゃ用の「車庫」をわざわざ工作で作ってきてくださり、おもちゃと楽しく分離できるように尽力してくださった先生には、その深い愛情に感動しました。 こだわりを理解しつつ一人の人間として尊重し、些細なことでも達成できたら、大げさなくらいの拍手喝采で、本気で褒めてくださる先生の前で、Lがニヤニヤと嬉しそうな顔をしたときには、褒められることの大切さを再認識しました。 Lの癇癪を、肝っ玉母さんのようにドーンと受け止めてくださる先生は、手の付けられない暴れん坊に疲弊していた私に、「怒ったLくんがかわいいんです!」とケラケラ笑いながらおっしゃってくださり、ありのままのLを受け入れてくださる姿勢に、母親として本当に救われる気持ちになりました。 発語が少ないLが、ちょっとした英語のフレーズ(「Let’s go!」「OK!」「Good!」など)に嬉しそうに反応して、そのことで発語が増えることに着目してくださった先生は、Lに対してそうした言葉がけを積極的にしてくださり、家庭でも同じようにしてみたら爆発的に発語が増えました。その先生には素晴らしい気づきを与えていただきました。 コロナ禍ならではの思い出もあります。しばらく教室がお休みになり、少し落ち着いたころにオンラインか通学かを選べたので、まずはオンラインでと思い、教室とつないだ時のこと。Lがなついていた先生を画面越しに見た瞬間、Lがすくっと立ち上がって家の外に出て自転車に乗りこみ、「コペユ!(コペルに行く)」と言い張りました。その熱意に押されるように教室に向かい、時間は少なかったものの久しぶりに教室に行って先生方に会えて、Lは本当に嬉しそうでした。その姿を見たとき、Lにとってコペルプラスは、本当にかけがえのない大好きな場所になったのだなあ、とあらためて思い知りました。 教室長が定期的に作成してくださる個別支援計画。それは、教室長からLへのラブレターだと、私には思えてなりません。先生方一人一人から丁寧に聞き取りを行い、Lの成長をつぶさに把握されたうえで、成長できたこと、達成できたことをたくさん書いてくださいます。また、その時々の成長課題を的確に見抜いて、絶妙なタイミングで次へのチャレンジも与えてくださいます。例えば、これまでは個別療育のみだったのですが、数か月前から集団療育も織り交ぜていただくようになりました。この移行タイミングも本当に絶妙でした。少しでも早かったらここまでうまくいかなかったと思います。 直接授業を担当されることがない教室長が、ここまでLのことを分かって的確に判断をしてくださるのは、教室長が先生方それぞれのやり方を徹底して尊重されたうえで信頼して任せ、そして、日々きめ細やかに先生方とコミュニケーションを取っていらっしゃるからこそだと思います。 課題をただシステマチックにこなしていくのではなく、先生方が一貫してLの気持ちに寄り添い続け、愛情を注ぎ続け、そして先生お一人お一人のユニークな工夫をもって柔軟に関わり続けてきてくださったおかげで、今年に入ってから一気にLの情緒が落ち着きました。その変貌ぶりには、本当に目を見張るものがあります。今や、きちんと椅子に座って、積極的に発言しながら課題に集中して取り組み、得意なことには自信を持ち、分からないことがあれば聞き、教室のお友達とも楽しそうにやりとりし、先生方にもきちんとご挨拶ができるまでになりました。 苦手なことがあってもいい。ただ、Lには自己肯定感を下げることなく、ハッピーに育ってほしい。私たち夫婦の願いは、浦和教室の先生方お一人お一人が叶えてくださっています。 来春、小学生になるLがコペルプラス浦和教室の先生方と毎週お会いできるのは、あと数か月です。引き続きコペルプラスジュニアにお世話になれる安心感はありますが、一番大変だった時期に寄り添ってくださったコペルプラスとのお別れは、Lにとっても私にとっても、とてもさみしいものです。でも、幸いなことに、浦和のジュニアは同じビルの上の階!これからも、寂しくなったら先生方の顔を見に来させていただこうと思います。 人は、自分のことを全力で肯定してもらえる場所が、家庭のほかに一つでもあれば、きっと、大丈夫なのだと思います。 だから、これからの人生でいろんなことがあるはずですが、Lは、大丈夫です。 コペルプラス浦和教室の先生方のおかげで、私は強く、そう信じられるようになりました。 -
桑園・平岸教室井川ペル
コペル行きたくない!からコペル楽しい!愉しい!に
今年からご縁を頂き、 小2、小1、3歳の3人を通わせて頂いております。 小2の娘は知的障害で、 まだ数の概念など不十分で どうやって関わって教えていったらよいか‥悩んでいたところ、 先生が相談にのってくださり、 娘にあったレベル、 今は年長さんのカリキュラムで対応してくださり、 結果、これまで難しくて険しい表情から一転、ニコニコ! コペルが楽しい! 今日は、だれ先生かな〜と 楽しみにしています。 小1の長男は、 コペル長いから行きたくない! と最初は愚痴愚痴だったのですが、 半年経って、今では コペルが楽しい! と言っています! 自宅ではじっとしていられず、色々ウロチョロしてばかりなのですが、 コペルでは、最初から最後まで椅子に座っていられるようになりました! 実験やゲームは特に興奮しています。 ありがたいのは、 先生と2人でトークするときに 彼がどんなことを考えているのか、会話をガラス越しから聞けることが、気持ちを知ることができて、関わり方を考えていく上でとてもありがたいです。 3歳の次男は、 2教室登録させて頂いております。 初回の体験からすごく楽しんでいて、 あお~い空が‥の歌に 頷き、今は手を使ってリズムの音頭をとってみたり、真剣に取り組んでいます。 先日は、コペルに着いたとたん 寝てしまい、 いつもだと無理矢理起こすと、 ギャ~!っとカラダ全身で トビウオのように暴れますが、 コペルの教室の中で 起こすと、 先生の顔を見るなり、 パッと別人になり すぐさま部屋に入っていったのが、 とってもびっくりしました! 3人にとっては、 コペルか生活の一部になっているんだなぁと感じることが多々あります。 先生、いつも子供たちを受け入れてあたたかく見守り続けてくださりありがとうございます! 今後とも宜しくおねがいいたします! -
新潟駅前教室小林純
子供の成長をこれからも見守りたい
こうた君はコペルに5歳の秋から通っています。医師から自閉症スペクトラムと診断され、俗に言うKY(空気が読めない)なところが顕著に見られ、団体行動が苦手です。自由すぎるところがあります。そのころはコミュトレが苦手で、時間になっても教室に入りたがらず、保護者と一緒に窓から中の様子を伺うのがやっとでした。また、ゲームなどの課題でも先生の指示を無視して自由に走り回ったりしてまるで小動物のようでした。保護者としては周りの目も気になりますし、恥ずかしいのと、何よりもこうた君の将来を危惧して涙目で車を走らせ帰宅したことを今でも覚えています。 しかし回数を重ねるうちに好き勝手な行動が徐々に改善され、保育園を卒園する頃にはそのような行動はほとんど見られなくなってきました。 そして小学校に入学しました。コペルも教室が変わりました。親としては迷いましたが、子どものためにと思い支援学級を希望しました。環境の変化にもなんとか対応してくれて、学校が楽しいと言ってくれます。9月に初めての通知表を学校から持って帰ってきました。 そこに先生から小学校の様子について書かれていたことに感動しました。それは道徳の授業で来週遠足を控えた中で、どうすれば遠足をより楽しく過ごすことができるか、というのを自分なりに考えて発表するというものでした。こうた君はそこで 「自分がされて嫌なことはお友達にしない、と発表していました」と書かれていました。 親としてはこれ以上ない位嬉しかったです。普段の様子はまだまだですが、心の芯には大切なことがしっかりと備わっているのだと子どもの成長を実感しました。 これからも子どもの成長を見守っていき、10年後にあの時子育て大変だったけど、自分が当時してあげられることを全部出し切って良かったなと、後悔だけはしないようにしたいと思います。 -
平井教室:閉所新宮千春
『光明』
『お母さん、大丈夫。理人君、大事なことはきちんと備わっているよ。』 この言葉はきっと一生忘れない。 理人が初めて発達の遅れを指摘されたのは2歳になったばかりの頃だった。 保育園に通い始めて半年が経った頃で、私は理人の妹を出産後、育休を取得中だった。 そんなある日、妹の新生児検診で区の職員が家に来られた際に、理人のことについても質問をしていた。もともと理人は黙々と一人で遊ぶのが好きな子だったが、こういう子もいるのだろうかと。それを聞いた区の職員は、言葉の発達などを含め、児童心理士に相談が出来る場所があるので、そこで一度話をしてみてはどうかと教えてくれた。 私は、理人の通う保育園のお友達の中にも理人と同じように、寡黙な子がいるのを知っていたので、これくらいの年代の子供はどういう言葉をどの程度話すものなのか、専門知識を持つ方に聞いてみようというつもりで相談に行った。 しかし、そこで告げられたのは衝撃的な内容だった。 「言葉の発達としては一般的な子から半年から一年ほど遅れています。ただ、個人差も大きく、一気に発達する可能性もある時期ですので、継続的に確認をしていきましょう。」 そんな想定外の指摘を受けてから、継続して心理士さんに相談を受けること約3年。2~3か月に一度の、心理士さんとの相談の回数はもう数えきれないほどになっていた。その中で何度か療育を考えたほうが良いかもしれないと言われたこともあった。ただどうしても、私には理人の発達遅れを受け止めることが出来ずにいた。家庭でできることはないかと声かけや勉強、運動などありとあらゆる方法を試していた。 そんな日々を続け、理人が5歳になった頃のある相談の日、分野によって発達に大きな差があることに気付いた心理士さんに、「どのような分野が得意なのか不得意なのかを調べられるテストがあるから、一度それを受けてみてはどう?」と提案をされた。「得意・不得意を知ることで、理人に合った働きかけを探せるかもしれない、育児が楽になるかもしれない」とも言われ、家庭での方法に手ごたえを感じられていなかった私は、現状打破のキッカケを得られるのなら受けてみるのもいいかもしれないと、紹介されたメンタルクリニックを受診させることにした。 その結果、やはりこのテストでも発達の遅れを指摘された。また、社会性の部分にも遅れが見られると診断された。そこで保育園での様子をもっと把握するように言われ、保育園の保育士と面談を重ね、園での様子を聞き取り、その結果をクリニックに伝えて相談しつつ、もともと相談している心理士さんとも相談する。その相談をもとにその家でできることをやりながら、療育施設も継続して探す…。そんな生活を一年ほど続けたが、遅れは変わらず、療育施設も決まっていなかった。 就学まであと1年と数ヶ月となった頃、療育施設へ通える最後のチャンスと言われていた三月が近づいていた。そろそろ連絡がないと療育は諦めるしかないと心理士さんと話していた矢先のある日、療育施設の空き待ちをしていたひとつの療育施設から『年度が替わる4月から空きが出そうだ』と連絡をもらい、何とか契約をさせてもらうことが出来た。それがコペルプラス平井教室だった。 いよいよ理人は年長になり、無事コペルプラス平井教室の初日を迎えた。初めに発達の遅れを指摘されてから3年半が過ぎた頃だった。 今までの3年半、保育士、児童心理士、メンタルクリニックの医師と数え切れないほどの話し合いを重ね、自らも関連しそうな本を何冊も読み漁っていた。様々な声かけや遊びなども継続して試し、理人と関わる時間を増やす為、転職もした。家庭で私が出来る、思いつく限りのことは全て行ってきたと思っていた。 それでもこれといった成果は得られず、もしコペルの教室でも変化が見られなかったら、もう何をやってもダメなのかもしれないと心のどこかで思い始めていた。 ところがその考えは、初回の教室たった一回で吹き飛んでしまった。コペルの教室の時間は、今までの3年半の期間は何だったのかと思うくらい、私たち親子にとって充実したものであった。 行き来の時間も含め教室に通っている間は、私と理人が一対一で接することが出来る貴重な機会になったこと コペルの先生の接し方をみて、褒め方や声のかけ方を勉強させてもらったこと 子供の成長をはかる視点を教えてもらったこと その日の課題を終え、すぐに専門的な意見・的確なフィードバックをもらえたこと これら全てのことが、どれも本当に有難かった。中でも特にありがたかったのは、その日の教室を終え、すぐに専門的な意見・的確なフィードバックをすぐにもらえたことだった。 コペル教室に通う前の3年半は、専門的な意見が欲しい時にすぐお願いすることは出来ず、相談したい出来事についても相談者の私しか実際に目にしてはいないので、懸命に説明するものの、思うように言いたいことが伝わっていない感覚があった。 一方で、コペルの教室では理人の様子ややり取りの全容を先生も私も目にしているので、話そうとする状況がよく分かり、こちらの質問の仕方が悪くても、質問の意図を先生が汲み取って答えてくれた。分かってもらえる、どんなことにも答えてもらえるという状況が、信頼や安心感につながっていた。 そうしてコペルの教室に通い始めて数ヶ月が経った。 相変わらず苦手な分野があったり、落ち着いて座っていられない時間があったり、気持ちの切り替えがうまくいかないときもあったりした。しかし、毎回楽しそうに教室へ通い、課題に一生懸命取り組む姿を見たり、先生に理人のことを褒めてもらえたりすると、本当に嬉しく思い、またそんな理人を頼もしく思っていた。 そして、コペルの教室に通い始めてから半年弱が経ち、理人の6歳の誕生日が近づいていた頃だった。 メンタルクリニックからWISC-Ⅳというテストを受けようと言われた。前回も受けた、どのような分野が得意なのか不得意なのかを調べられるテストの、6歳からの子供を対象にしたものだそうだ。 私はコペルの教室での理人の姿を思い返し、確かに不安や心配な面はあるが、半年間コペルで頑張ってきて、得意・不得意の分野や程度に変化が出ているかもしれないし、就学前に現在の状況を知るには必要なことだと判断し、理人にテストを受けてもらうことにした。 しかしそれから数週間後、医師から告げられたテストの結果に過去最大の衝撃を受けた。 「小学校の通常級に通えるギリギリ最低のレベルだね。でも、これだけのレベルあると支援級には絶対通えないんだよね。」 得意・不得意を知るだけだと思っていた私は、小学校で通常級や支援級という単語が出てくるとは夢にも思っておらず、呆然としまった。そんな私に、医師は追い打ちをかけるように続けた。 「この結果になったのはお母さんの細かすぎる性格が原因だね。その性格に幼いときから子供は合わせて適応してきたんだよ。それが今の彼を形作っちゃっているんだね。」 言葉が出なかった。その代わりに次から次へと涙があふれてきて止まらなかった。 その後、何を話してどうやって家に戻ってきたのか覚えていない。 ただただ、取り返しのつかないことをしてしまったという気持ちと理人への申し訳なさがずっと頭の中を飛び交っていた。 『この子の遅れは私のせいなんだ。だからこの子は苦しんでいるんだ。私が口うるさく言ったから我慢させて、話さなくなって…。私の性格が理人をあんな小さなときから苦労させて今もこれからも苦しませるのか。そっか、全部私のせいだったんだ。理人、ごめんね。ごめんね。』 その日から、私は理人にどう接すればいいのか全く分からなくなってしまった。しかし、正解もわからない上に、人の性格はそう簡単には変えられない。ただ一つ変わったことは、私の精神状態が、仕事中でも家事をしている時でも、ふとした瞬間に涙がこぼれるようなとても不安定な状態になったことだった。子供たちの前で泣かないように、ただそのことだけに必死だった。 それからまもなく、コペルの教室に通い始めてから半年の面談が行われる時期となり、私はその面談を実りあるものにして、今後の対策をしっかりと考えなければと焦りを感じていた。 私は、出来る限り面接で役に立ちそうな材料を集めようと、理人が生まれた時に遡り、今まで保育士や心理士、医師に相談したことやその時々に言われたこと、親族やママ友から言われた言葉やエピソードなどを思い出し、書き出すことにした。 生まれてから6歳になる今までの期間を対象にしたので、かけてもらった言葉やエピソードも数多く、心理士さんへの相談開始からも約4年が経ち、その内容も相当な量になった。終始、この時のこれが悪かったのかな、あれも良くなかったのかな、この時にあれをやっていれば違ったのかなと後悔に苛まれるとても苦しい作業だった。そして何時間も、何日にもかけて涙を流しながら行った。ただただ、「私が性格を変えなければ理人が苦しむ。何かを変わえるためのヒントを探さなければ…」と必死だった。 そしてその作業も終盤に差し掛かった頃、もうつい最近の事柄まで遡っていた時だった。ある日のコペルの教室、課題が終わってフィードバックを受けている時にかけて下さったある先生の言葉を思い出した。どの先生も毎回理人を褒めてくれて、私にも嬉しい言葉をかけて下さっているが、その先生の言葉は、かけて下さったその時から少し引っかかっていた。だからか、その時の言葉のトーンだけでなく、その時の先生の表情や仕草まで鮮明に思い出すことが出来た。 『お母さん、大丈夫。りひと君、大事なことはきちんと備わっているよ。』 この言葉はその時の言葉だ。この時は先生の言う『大事なこと』が何を指しているのか分からなかった。「教室の課題で平仮名が書けたことだろうか?終わりの歌でありがとうございましたと歌えたことだろうか?でも今日に限ったことではないしなぁ…」と不思議に思っていた。 ただ、先生が、両手を机につけた状態で少し前のめりに、私の顔を覗き込むように視線をしっかりと合わせて、いつもより少し低めの真剣なトーンでおっしゃったことが、とても印象的だった。何かがいつもと『違う』ということだけは感じていた。 この言葉がキーワードになりそうな予感がしたが、まだ真意は分からないままだった。 そして、少し日が空いたある時、ふいにハッと気が付いた。 コペルの教室では、引っかかっていた言葉以外に、どの先生もよく言って下さる言葉があった。 『理人君って本当に優しいですよねぇ。』 これは保育士やママ友にもよく言われていることだったが、私は毎日妹と喧嘩する場面ばかりを目の当たりにしていたので、言われる度に外面は良いんだろうなと思っていた。しかし、コペルの教室ではマジックミラーで私もお勉強の様子を全て見ている。見ていたにも関わらず、特別優しいと感じた場面はなかった。では先生はどのような部分でそう感じたのだろうか?私は今一度、コペルの教室に通ってからの様子を書き出した部分を読み返してみることにした。そしてついに理解した。 私がマジックミラー越しに見ていたのは、平仮名などの文字や数字を書けるか、言われたことに対する計算・処理の能力、記憶能力などだった。しかし、課題を行う中で、先生とのやり取りの中で、次のような場面があった。 分からずに教えてもらった時は「そっか!ありがとう!」 ペンを返す際に「はい、どうぞ」 机から何かが落ちたり、運動で疲れた素振りを見せたりした先生に「大丈夫?」 『大切なこと』。それが、先ほど挙げた相手への声掛けのような、挨拶などのマナーや他人を思いやれる優しさのことだったのではないかと気付いたとき、真っ暗闇の中で当てもなく彷徨い歩く私に一筋の光が差しこんで、頭上に雲ひとつない青空が瞬く間に広がっていくかのような感覚を覚えた。 人として思いやりを持つことや他人に優しくできること以上に大切なことなどあるだろうか、いや、私には考え付かない。勉強が出来ることや処理能力が高いことはもちろんそうであるに越したことはない。出来ないと苦労をすることも分かる。しかし、勉強が出来たとしても人に優しく出来ないような子には決してなって欲しくない。 私の細かすぎる厳しい性格は、理人の貴重な幼少期を、辛い楽しくないものにしまった。その過去はやり直せない。理人をマナーの守れる人間に育てたいと思い幼少期が大事だと気負った接し方は、乳幼児に向ける親の姿勢として完全に誤ったものだった。これからも理人は言葉や社会性の遅れなどの弊害に苦しみ続ける。そのことを本当に申し訳なく思うし、心の底から反省している。 けれど、私がしてきたことは理人を苦しませたくて起こした行動ではないことも確かで、当時の私が考えうる最善を尽くしてきたということも自信を持って言える。 理人は十分すぎるくらい優しい子に育ってくれていた。しかも、それを何人もの大人から褒めてもらえているくらい、場所を問わず、発揮してくれている。そういう立派な子に育ってくれている、育てられているよということを、先生のこの言葉は教えてくれていたではないかと思った。 理人は知らず知らずのうちに人の顔色を細部まで観察して適応する能力を身につけてしまった。6歳児にしては子供らしくない部分だと思う。でも不安な時には手を握ろうとしたり、姿が見えなくなると探してくれたりする、ちゃんと親を頼ってくれて甘えたいと思ってくれている年相応の6歳児の子供らしい部分もまだきちんと持ち合わせてくれていた。 それを認識できた今、私がやるべきことは定まった。 今までの、年齢度外視の厳しい態度・間違った接し方を見つめ直し、彼の年齢に合わせたものに替えること。そして、マナーなどの私が彼に望む行動の理由をきちんと言葉で説明すること。最後に、彼をきちんと甘えさせてあげること。自分だけを見て欲しい、褒めて欲しい、受け止めて欲しいという欲求を満たしてあげること。 テストの結果はきちんと事実として受け止める。しかし、テストは慣れない環境で初対面の人相手に緊張する状況で行われた。そのことも踏まえて考えないといけないとも思う。 私は今まで約半年間、コペルの教室での理人の取り組みを見てきた。今の理人の性格については以前より理解を深められていると思っている。 理人にも内と外の顔があり、しっかりと使い分けているということ 持続することは難しいが集中する時の集中力には凄まじいものがあること 大人の顔をよく見ていて、そこから感情を読み取ろうとしていること 映像での記憶が得意そうだということ そして、もっと認めてもらいたい、褒めてもらいたいと思っているということ。 これらのことを知ることができたことは、私にとっては本当に大きな出来事だった。 通う前の三年半もの期間では分からなかったことで、コペルの教室に通えて心から感謝していることのひとつだ。 コペルの教室の先生方には、理人の成長だけでなく、親である私にも育児で本当に大切なことをいくつも教えていただき、親としても大きく成長させていただき、自分の育児に自信を持ってもいいのだと気付かせて下さったことに本当に感謝している。感謝してもしきれないほどだ。 今後、就学してからも勉強の遅れや社会性の面で焦りや不安はまた湧き上がるだろう。しかし、コペルの教室で教わったことを思い返し、コツコツと取り組み、積み重ねてきたことを自信思うことが出来たら、そのような局面もまたきっと乗り越えられると信じている。 私も母親6年生。まだまだ経験が足りない。間違ってばかりだ。 大きな回り道をしてしまったように思うけれど、嬉しい時や苦しい時などのすべての期間、出来事が私にとっては必要な経験だったのだと思う。自分の誤りにこの時点で気付けたことを幸運に思い、私の子育てを全否定されたわけではないと思えるキッカケの言葉をくれた先生と、そのことに気付くために必要だった、他の先生方が日頃からかけて下さっていた様々なお褒めの言葉に、心から感謝している。 これから私たち親子は、親として、子として、私たちに合ったペースで一歩一歩確実に成長していきたいと思う。 コペルプラス平井教室とめぐり逢えたこと、そして関わってくださった全ての先生方と出会えたことに、心の底から感謝の意を伝えたいと思う。 教室での経験全てが私たち親子にとっての財産だ。 私たち親子を笑顔にしてくれて本当にありがとう。 -
横浜蒔田教室oggy
成長と感謝
朔太朗が2歳8ヵ月の頃、周りと比べて言葉の遅れがありました。 明らかな遅れではないものの、語彙は少なく発音も不明瞭。その他にもオウム返しや模倣も苦手で、なにかあるのでは…と感じ始めた時期でした。 ある日支援センターへ遊びに行き、そこで朔太朗は大癇癪。 後にも先にもないくらい大きな癇癪で、センター中に声が響き渡り、周りもびっくり。 その後、朔太朗も落ち着きしばらく経った頃、スタッフの方に声を掛けられました。 「おいくつですか?」とニコニコしながら話しかけてくれたその方は相談支援員さんで、わたしは思わず悩みを話してしまいました。 うんうん、と頷きながら話を聞いてくれ、どこにも吐き出せなかった気持ちを出せてホッとしたのを覚えています。 そこで紹介されたのが児童発達支援でした。 最初は「へぇ…」くらいでピンときませんでしたが、何回か支援センターに通ってその支援員さんと話すうちに幼稚園の話になった時のことです。 急に暗い表情になり、「ここの市はね、公立幼稚園がなくて全部私立幼稚園なのよ。しかもoggyさんのお住まいの区は厳しい園しかなくて…必要なら区外の園も検討した方が良さそうね…」と言いました。 厳しい園とは、障害児の受け入れをしていない、という意味です。 この言葉には大変ショックを受けました。 そんなに…?あれ以降癇癪も起こしてないし、言葉が少し遅れてる程度なのに…モヤモヤが止まりませんでした。 しかし家に帰って、支援員さんはきっと癇癪以外にも朔太朗の言動を見てそう思ったのだろうなぁと考え、この言葉通り、重く受け止めることにしました。 それから即、児童発達支援に通うことに決めました。 それがコペルです。 朔太朗はとても楽しそうに通っています。 「今日はコペルに行くよ」と言うと「コペル⁇やったー!」と喜び、雨の日も頑張って長靴を履いて歩いて行きます。 現在、課題はスムーズにこなす一方で、不安感が強いことがわかり、個室に入る時もわたしが一緒でないと入れません。それでも先生方は朔太朗を楽しませようと色々試行錯誤して下さり、おかげで課題の途中から集中し出し、わたしがいなくなっても先生と楽しそうに過ごしています。 最近では課題が始まる前に「バイバイ!」とタッチして個室を出ることができるようになり、成長を実感しています。 さて、先日幼稚園の面接がありました。 わたしは朔太朗の成長は感じつつ、面接は不安と緊張でいっぱいでした。 事前に朔太朗の特性や療育センターの受診歴があることを伝え、当日を迎えました。 親子面談で色々聞かれるだろうなぁ…と思い自分の中で想定した質問の答えをいくつか用意して挑みました。 子どものみの集団面接を終え、いよいよ親子面接。 席に着き、先生が事前に伝えておいた朔太朗の書類を見て、にこやかに 「そうなんですね…僕、集団面接で朔太朗くんのこと見ましたけど、なんにも気になることなんてなかったですよ。」 と言われました。続けて、 「不安感がある…んですね。お母さん、僕は体操を担当しているのですが、参加できなくても全然いいんですよ。無理強いはしません、見ているだけでいいんです。それだけでエライ。見てると、自然と入ってくる時がくる。喜んで待ちます。 お母さん、どうか朔太朗くんのこと、そういう目で見ないであげてください。 僕は朔太朗くんの成長が楽しみです。安心して通わせてください」 と言われ、涙が出る思いでした。 もちろん、15分程度の面接や事前に伝えておいたことで朔太朗の全ては伝わってないというのは分かっていましたが、それでも、朔太朗のことをきちんと見てくれた人にそう言ってもらえて、安心して通わせてくださいと言ってもらえた。 それは朔太朗の発達を疑ってから約1年、頑張りが報われたような思いでした。 ここまで成長できたのは、コペルに通っていたおかげだと思っています。 朔太朗に合わせた課題や声かけ、不安を感じさせないような接し方をしていただき、とても感謝しています。 コペルには成長のきっかけをもらえている、とわたしは感じています。 通ってさえいれば成長するというわけではなく、コペルでやったことが自信になり家や外でもやってみようと思える。そのきっかけはとても大きいものだと感じています。本当にありがとうございます。 これからもコペルにきっかけをもらいつつ、朔太朗の成長を見守ってもらえたらな、と思っています。 -
周南久米教室えくぼ
なにが『正しい選択』?
我が家には、素直で明るくちょっぴり頑固な(そこもかわいい)自閉スペクトラム症の娘、ゆず(5歳、年長)がいます。 ゆずは1歳半健診の時に発語がなく、目も合いにくいことから、小児発達専門病院を紹介されました。 (小児発達専門病院の予約は半年待ち。その間、何か出来ることはないかと市の保健師さんや、母子健康センターの保育士さんの育児相談に赴き、お話を聞きましたが「お母さんがしっかり話しかけてあげてくださいね」と言われ、まるで私が子供ときちんと接していない、向き合っていないと責められているような気持ちになるだけ。不安は増すばかりでした。) 小児発達専門病院を受診してからは、2回/月で作業療法を開始。 (主治医から『視覚優位であること』、『相手の表情を読むことが難しいこと』を教えていただいたため、浴室にあいうえお表を張り、[「これなーんだ?」「○○」「せーかい」→ハイタッチ(動作)] と、クイズ形式で指差しと単語、あいうえおを教えました。いつも決まったフレーズと動作で褒めることでコミュニケーションをルーティン化したのがよかったのか、最初のうちはポカンとしていたゆずが、徐々にニコニコでハイタッチをするようになり、みるみる単語を覚え、2歳半ごろには動物、果物、野菜、色などの単語を理解するようになりました。) 言葉が出始めた2歳半ごろからは2回/月で言語療法を開始して、3歳で幼稚園に入園するころには、「ナイナイして」「ゴミバコポイして」などの簡単な指示は理解できるようになりましたが、言葉の理解に伴って自我が芽生えてきたため、自分の思い通りにならないとかんしゃくを起こすようにもなりました。 入園後は保育所訪問支援事業を利用しながら、加配で一対一でご指導いただき、少しずつ園での生活に慣れ、徐々にかんしゃくもなくなっていきました。 今では園での生活はほぼひとりでできるようになりましたが、やはりいつもと違うことには不安を感じやすく、言葉もあいかわらず不自由で、単語はたくさん知っているのですが、文章を組み立てることが難しい様です。 幼稚園では友達づきあいができず今でも一人で遊んでいることが多く、また感覚過敏で大きな音や強い光は苦手ですし、間違えることや出来ないことには過剰に反応しやすい、いわゆる自閉的傾向は今も健在です。 そんなゆずが年長さんになる直前の3月。療育の待合室で、私に「あの子のおなまえはなに?」と聞いてきました。 見るとそこには、ゆずと同じ年頃の女の子とお母さんが座っていました。 それまで、お友達に興味を示さず一人の世界で楽しんでいたゆずだったので、他人に興味を示したことに少し驚きつつ、私が「聞いてみたら?」と伝えると、ゆずはトコトコ歩み寄り、「この子のおなまえは?」と聞いたのです、、、お母さんに。 思えば、ゆずの周りはいつでも大人ばかりでした。 作業療法や言語療法も先生と一対一、幼稚園でもゆずの傍にはいつも加配の先生が付いていてくれます。 園児さんはたくさんいますが、もともと一人遊びを好む傾向がありますし、言葉が不自由なゆずと一緒に遊んでくれるお友達はなかなかいません。 またコロナ過という情勢も、ゆずから同世代の子供たちと集う機会を奪う結果となってしまいました。 彼女にとって、同世代の子供に声をかけることよりも大人に声をかけることのほうが、ハードルが低かったのも仕方がないことなのかもしれません。 就学に向けて、新たな目標を見出す出来事でした。 春休みがあけた4月、幼稚園の先生から公立小学校での『言葉の教室』を紹介されました。 就学を見据え、学校という場所に慣れる意味でも娘にとってよい経験になるのではないかと考えて下さったようです。 『言葉の教室』は先生と一対一なので、私の希望とはやや異なっていましたが、せっかくのご好意です。 見学だけでも行ってみようと考え、すぐに予約の電話をしました。 言葉の教室は週に1回1時間。未就学児を対象に、発音が苦手、自分の思いを表しにくい、おうむ返しをする、言葉が詰まって話しにくいなど、言葉の発達や発音に心配のある子供の支援をしている教室で、公立小学校と同じ敷地内にあります。 母子分離タイプで、指導の間は親は別室(窓ガラス越しに中の様子が見えるが相手からも見えてしまうのであまり覗き込めない)で待機しています。 (※ここからはあくまで私が受けた印象です。すべての『言葉の教室』を否定するものではありません。) 『言葉の教室』の見学をして。 まず結論から言うと『言葉の教室』は娘には合っていませんでした。 (その理由は下記に列挙します。) 『言葉の教室』は ・療育ではなく、訓練である (最初の面談で「しっかり訓練していきますから」と言う→私が望んでいるのは娘の『訓練』ではありません) (『子供にトランポリンをさせて、笛の音で印のところまで戻る』を繰り返す→まるで犬や猫の調教の様でした) ・娘の話を聴いていない(『聞く』ではなく) (先生の「お昼何食べたの?」に対し「パン食べた」と答えた娘に、「パン食べたの!?ほんとに!?」と疑う→この日は平日でしたが午前中療育でその後昼一番で言葉の教室だったので幼稚園はお休みし車中で一緒にチョコデニッシュを食べました。) ・高圧的で口調が強い(この先生だけかもしれませんが…) (娘が拙い言葉で一生懸命伝えようとするのに、「ええ!?」と強い口調で聞き返す→娘が萎縮して段々話したくなくなる様子が見て取れました) ・娘の気持ちに寄り添っていない (先生の対応、態度、受け答えに傷ついていることに全く気が付いていない→表情が段々と曇り、「もうやめてあげて」と飛び出していきそうになるほどでした) ・できないことばかり見て、できることを見てくれない (娘の前で「そんなことができない子ははじめてです」と言う→娘はしゃべれませんが聞き取りはできますので理解していますショックだったと思います) ・否定的な言葉を簡単に口にする (質問に対して一生懸命答えた娘に「違うよ」と即効で否定する→自分の言葉で答えたことをまずほめてあげてほしいと思いました) 『言葉の教室』には「いきたくない」と言う娘を前に、こんなにつらい思いをさせてまで続ける意味があるのだろうかと言う想いと、逃げ癖を付けたくないと言う想いとが私の中に混在し、続けるべきか、辞めさせるべきか、正直とても悩みました。ゆずにとってなにが『正しい選択』なのでしょうか。 そんな時、たまたま小児発達専門病院で知り合ったお母さんと街でばったりと遭遇し、事の本末を相談したところ、コペルという療育スクールが近くにあると教えてもらいました。その方自身はコペルを利用したことはないとのことで、詳しいことは全くわからなかったため、私はわらにもすがる思いで、すぐに資料請求と見学、体験を申し込みました。 (コペルの体験を通して私が感じたことは下記に列挙します。) コペルでは ・先生がとにかく優しく穏やか (笑顔で出迎えてくださり、話し方がやさしく丁寧で、娘にもわかりやすく伝えてくれる) ・娘の話をじっくり聴いてくれる (娘の言葉をさえぎることなく、途中で言葉が詰まってしまっても笑顔のまま待ってくれる) ・娘の話を絶対に否定しない (娘の脈絡のない話も途中でとめたり否定することなく最後まで聴いてくれる) ・娘の気持ちに寄り添ってくれる (娘の表情の機微を見逃さず、安心させる言葉がけをしてくれる) ・娘の得意なところに注目して、ほめてくれる (できないことをできるようにする『訓練』ではなく、いいところを伸ばす『療育』をしてくれる) ・小集団での療育もあり、子供同士のかかわり方をフォローしてくれる (娘の苦手な同世代同士でのコミュニケーションを培うレッスンができる) 体験を終えて帰るときのゆずの顔が、『言葉の教室』の後の顔とは全く違い、ニコニコのルンルン♪でした。 初対面の娘にも、愛情をもって接してくださっているのが、見ている私にもひしひしと伝わってきました。 私は迷うことなく、『言葉の教室』は辞めコペルを続けることに決めました。 コミュニケーション能力が乏しく他人に興味がないことから、自分からあまり話しかけたりしないゆず。 コペルに通い始めたころはただ先生からの質問に答えるだけだったのが、次第に先生に「あなたのおなまえは?」と自分から尋ねるようになりました。レッスンの度に先生に名前を聞くのですが、先生はいやな顔ひとつせずに笑顔で毎回名前を教えてくださいました。 あせらずじっくりと、ゆずのペースにあわせて、ゆっくりと娘との信頼関係を築いてくださり、娘も毎回楽しくレッスンを終えることができます。 3ヶ月かけて先生のお名前と顔を覚えたゆずは、最近では自分から先生に「まえがみきったの!」とか「(幼稚園の劇で)おほしさまやるの!」と話しかける姿も見られはじめました。 また他人と目が合いにくいゆずは、最初のうちは全くと言ってといほど先生と目を合わせることはありませんでした。しかし信頼関係ができてくると、次第にコペルの先生と自然に自分から目を合わせ、時に笑い合うこともできるようになりました。(先生から「目を見て」と指示したことは一度もなかったのに) 幼稚園の加配の先生からも「今日は絵本の読み聞かせのときにないてしまったんですが、「おばけがこわかったの」と、何がいやだったのかをきちんと自分の言葉で教えてくれました。成長しましたね」と言っていただきました。 コペルに通うことで、ゆずのコミュニケーションの幅が広がるだけでなく、リンクカードが25枚覚えられるという、今まで知らなかった娘の特技にも気づかせていただきました。 負けるのが大嫌いなゆずは、集団レッスンの際お友だちにゲームやじゃんけんで負けてしまう度にパニックを起こして泣き崩れていましたが、先生が繰り返し「勝っても負けても大丈夫」と伝え、負けてもゆずの希望にできる限り添うよう臨機応変に対応してくださることで、今では泣き崩れることなく、気持ちの切り替えが以前より上手くできるようになって来ました。 そして昨日はなんと、幼稚園でお友だちの輪に自ら入っていき、場の雰囲気を一緒に共有し笑い合ったり(お友だちと会話はまだ難しいようですが)、年少の女の子さよちゃんと手を繋いで園庭をお散歩して遊んでいたとのことでした! 今まで娘のそんな姿を見たことは一度もありません! コペルでの集団療育で同世代のお友だちとの関わりに少し自信が持ち始めたのでしょう。些細な変化ではありますが、娘にとっては大きな進歩です。 定型発達の子供と比べると、ゆずの成長は本当にすごくゆっくりなんだと思います。 それでも、いえそれゆえに、私は成長の一つ一つを噛み締めながら、楽しく日々を過ごすことができます。 これからも、ゆずが成長し続けるかぎりなにが『正しい選択』なのか、悩むこともあると思いますが、その時々でゆずの気持ちを一番大切にして進むべき道を選んでいけば、きっと後悔することはないと信じています。 コペルのおかげで、優しい先生方、集団療育に通う同じ悩みを抱えるお母さん方やお子さん方、たくさんの方と出会う機会もいただきました。 わが子のように愛し、ゆずの将来を一緒に考えてくださるコペルの先生方には、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。 コペルを始めて本当に良かったと思います。 これからも親子共々、どうぞよろしくお願いいたします。 -
周南久米教室Yママ
初恋は先生
少し私の子の自己紹介です。 私の子供は保育園に通う現在6歳の元気な男の子で自閉症です。自分の思う通りにならなかったら癇癪をおこして物をなげたり、ひっくり返って泣いてしまう事も。 ですが普段はとても素直な愛らしい子です。 そんな息子の初恋です。 約1年前の6月、すでに月2回の療育を受けていましたがもっとこの子に刺激を与えて、色々な事を学んで経験して欲しいと思っていました。 私が住んでいる所は田舎で療育を行える機関も凄く限られています。 色々模索をしていくなか広告の欄に新しくオープンしたコペルの教室を見つけ、すぐに電話しました。体験を行った日から1ヶ月後週2回レッスンを受ける事になりました。 まだオープンしたばかりで先生も少なく、毎回S先生がレッスンして下さっていました。 S先生はうちの子のペースに合わせてレッスンしてくれてました。 包み込む様な優しさで寄り添ってくれる先生です。 息子も最初は楽しそうにレッスンを受けていました。 しかし教室に通い始め3ヶ月、半年になり 息子も、教室にも先生にも慣れてきたのか「今日はやらなーい、やりたくなーい」が増えてきました。 月日が経ち色々な先生が増え、毎回違う先生で色々な刺激をもらい、息子はやりたくない時もあるけど、先生達のプロの持って行き方で、毎回レッスンを楽しんでいました。 教室に通うお友達も増え、週2回の個人レッスンもうち1回は集団に変わり、S先生も忙しくなり、息子もなかなかゆっくり会えない日々もありました。 通い始め1年が経つ頃の事です。 久々にS先生に会うと息子はとてもはにかんでニコニコしてました。 私が見る初めての表情でしたがあまり気には止めてなかったのですが、また次の週、S先生に会うと口を抑え嬉しさを隠しきれてない、ニコニコの息子の姿が(笑) 今までこんな顔見た事なく、母の直感でした。 これは間違いなく息子の初恋だぁー!! 息子は「僕、S先生大好き」と教えてくれました。 息子にこんな感情があるなんてーー!!!! 私はとても嬉しかったのです。 保育園に通っていて、他の女の子とも一緒に遊んだりしているのに、先生からもそんな話しは聞いた事がなく恋には無縁かもと思っていました。 現在でもレッスンが終わると、母をスルーし先生にかけよったり、集団レッスンで他の子を待っている間先生にハグしてみたり、集団で先生が補助に入って、うちの息子の隣にいると息子は、先生とカップル繋ぎをしてみたり、先生の髪の毛を触ったり(笑) 私はそんな事をする息子を見るたびに新たな一面の発見で嬉しいです。 ですが現在そんな恋にも少し変化が… 今でももちろんS先生が大好きですがもぅ1人コペルの先生が気になって仕方ない気の多い息子でした(笑) -
青物横丁教室ダンナ
娘が教えてくれたこと
青天の霹靂とはまさにこのことでしょうか。 仕事中の私の電話に妻から着信がありました。そんなことは滅多にないため呼び出しがあった瞬間、嫌な予感がしました。その思いは残念ながら的中し、妻曰く「3歳の娘がけいれんを起こし、救急搬送された」とのこと。私は幼児によくある熱性けいれんのようなものだろうと思っていたものの、妻は気が動転していたためすぐに病院に向かいました。しかし、私のそんな楽観的な思いは瞬く間に消え去り、救急救命室で対面した娘は人工呼吸器につながれ、意識がありませんでした。その瞬間、一般的な熱性けいれんではないことを私もすぐに理解しました。しかし、当初は具体的な病名は分からず、コロナ禍であったため集中治療室で闘い続ける娘とはほぼ面会できません。私たち夫婦は途方に暮れ、泣き暮らす日々を過ごしました。その後、1週間ほど経って判明した病名は「二相性脳症」、ウィルスによって脳が炎症を起こす難病の一種だったのです。同時に医師からは告げられたのは「脳に重い障害が残る可能性が高い」という事実。奈落の底に突き落とされたような絶望感で頭がいっぱいになりました。私たち家族の人生はまさにそこから180度変わったと思います。 幸い娘は一命をとりとめ10日ほどで集中治療室から一般の小児病棟に移ることになりました。しかし、元気よく走り回り、楽しくおしゃべりしていたのが噓のように、その時は自分で寝返りをうつこともできず一言も言葉を発することができない状態でした。 娘は倒れる1週間ほど前に幼稚園に入園したばかり。人懐っこく毎日楽しみに幼稚園に通っていた娘がなぜこんなことになってしまったのか… どこにもぶつけようのない怒りと悲しみがこみあげて来ますが、自分ではどうすることもできません。インターネットで病気や今後のことについて調べているうちに、障害と向き合うには「失ったものを悔やむのではなく、出来るようになったことを喜ぶ」という記述を見つけました。言っていることは十分わかりますが、当事者となって自分がすぐに飲み込むことは到底できません。街を歩き、元気そうな子どもを見るだけで辛い気持ちになっていました。 しかし、ただ1つ分かるのは「娘は生き続ける事を選んだのだ」ということ。そのため私も妻も歩みを止めることは許されないという思いで、娘の入院生活を見守り続けました。1ヶ月ほど経ち、何とかおすわりが出来るようになり、喃語を発し始めるまで回復し、ようやく退院しました。ただ、医師が言うにはここからどこまで娘が回復、成長するかは未知数だとのことでした。 すでに娘の入院中に幼稚園は退園していたため、医師や区の福祉課のアドバイスを受け、 初めて障害のある子を対象にした療育施設というものがあることを知りました。そこで区の福祉課からもらったパンフレットに載っている療育施設に順番に電話したもののどこも空きがありません。しかし、偶然にもパンフレットの一番最後にあったコペルプラスにわずかな空きがあったのです。 すぐに私たち家族は体験入学に向かいました。病気になる前にも幼児教室には通っていましたがそれとは違うもので、知的な遅れのある子を対象にしていることが良く分かる緻密なカリキュラム、かつ先生も豊富な訓練を積まれている様子が見て取れるものでした。それを見て私に沸き上がったのは、これを続ければ少しは良くなるのではないかという思い。何より先生方は何もできない娘と誰にも相談できず不安そうな私たちに寄り添い、療育のシステムなどについても丁寧に教えていただけたことがとても嬉しかったです。私はようやくわずかな希望を持つことができた気がします。 その後、受給者証をもらうのに1ヶ月ほどかかり、やきもきした日々を過ごした後に念願の通所開始となりました。その頃、ようやく娘はよちよち歩きができるほどに身体機能は回復していましたが、意思疎通は全く図れる状態ではなく重い知的障害を抱えていることは明白でした。とはいえ最初のレッスンの日は通所をはじめたからといって劇的に良くなるわけはないと分かっているものの、期待を膨らませずにはいられなかったことを記憶しています。そして、いざ始まってみるとレッスン中の娘は触るものは何でも口に入れてしまい、じっと座っている事すらできません。あらためて娘の現状を目の当たりにして涙が溢れました。私はしばらく直視することもできませんでした。「もう一生このままかもしれない…。」障害と向き合うことの難しさを改めて痛感させられた気がします。初回の療育後、先生からは「少しずつ慣れると思います。」と、しごく冷静かつ優しく伝えられました。先のことは当然誰にも分かりません。しかし、今思えばきっと娘にも成長があることを何人ものお子さんを見てきた先生は感じておられたのかもしれません。 その後、私たちは藁をもつかむような思いで療育に通い続けました。最初の1ヶ月ほどは目に見える成長もなく、半ばあきらめ半分の気持ちになっていました。しかし2ヶ月ほど経つと物を口に入れることが減り、3ヶ月経つと喃語が意味のある単語に変わったりと少しずつ、ゆっくりではあるけれども娘に変化が見え始めたのです。そこでようやく私たちは「失ったものを悔やむのではなく、出来るようになったことを喜ぶ」ということが少し飲みこめるようになった気がします。 現在通い始めてから、わずか3ヶ月あまりですが娘とは少しずつ意思疎通が図れるようになってきました。そのおかげで買い物に行ったり、食事に行ったり元の生活を取り戻しつつあります。病気になった当初は元気に幼稚園に通う子たちを見かけると目をそむけたくなるほど悲しい気持ちになりました。しかし、今は娘を他人と相対的に見て悲観することには意味がなく、娘自身の成長そのものに喜びを見出すことが大事なのだと考えられるようになってきました。 自宅では“できないこと”に感情的になり娘に適切な教育を施すことが出来ていない気がすることもあります。しかし、こうしてプロの療育施設のフォローのおかげで成長を取り戻すスピードを上げることができたのだと思います。私は仕事の都合で通所に同行できないことも多いのですが先生が書いてくれる「サービス提供記録」に目を通すのが楽しみなのです。その手書きのメモにはいつも「できたこと」だけを書いてくれています。そのことで親は勇気づけられ、先生方に信頼を寄せられるのです。子どもたちを優しく見守り、適切な指導を続けるのは簡単にできることではありません。この場を借りて先生方に心より感謝申し上げます。 娘の病気をきっかけに失ったものがあることは事実です。一方で私たち夫婦は新たなことを学ぶことが出来ました。福祉の課題やマイノリティの気持ち、そして子どもの成長がどれほど尊いことなのかを。40歳を超え、新しく何かを吸収することは少なくなりましたが、娘のおかげでまだまだ私も成長できるのだと思えました。これが娘から教えてもらったことです。 もちろん今だって悲しみや悔しさから解放されたわけではありません。しかし娘の人生はまだ始まったばかり、その歩みがゆっくりではあるけれども止まることはありません。だから我々は前を向いて娘を応援し続けたいと思います。
